設立概要
2009年8月佐々木貴を中心に設立。
団体名は「自由をその手に」をキーワードとした。
その名の通り、自由奔放なハチャメチャな試合を売り物にしている。
歴史
2009年
- 9月2日、新木場1stRINGにて旗揚げした。 名古屋で第二戦、新木場で第三戦を行うなど、コンスタントに活動を行う。
- 12月25日、葛西純プロデュースによるデスマッチだけの興行がアパッチから引き続いて開催。
2010年
- 4月4日、初の大阪大会を開催(大阪世界館 超満員札止め)。
- 5月2日、初の横浜大会を開催(横浜赤レンガ倉庫)。
- 6月21日、団体初の後楽園ホール大会を開催。前述の金村事件に対する批判、観客動員が減少する平日の開催(開催当日は月曜日)に加え、旗揚げからわずか半年しか経過しておらず、基盤が十分に整備されていないことに不安の声もあったものの、FREEDOMS軍と大日本・グレート小鹿社長率いる「小鹿軍団」の抗争展開に、最終的に1,193人の観客を動員し大成功に終わらせた。一方でザ・グレート・サスケは小鹿軍団での継続参戦を宣言し、サスケとは犬猿の仲であるバラモン兄弟は困惑している。
- 7月1日、療養のため、入団を保留していたマンモス佐々木が同日付で正式入団。
- 8月1日、初の千葉大会を開催(千葉BlueField、K-DOJOが管理する同所の他団体貸し出しは前述の金村事件で停止されていたが、この大会が再開第1号となった)。
- 8月25日・26日、新木場1stRING大会「葛西純プロデュース・第2回デスマッチトーナメント~PAIN IN LIMIT 2010~」を開催。MASADAが優勝。
- 9月12日、初の東北大会を佐々木代表の地元岩手県一関市の一関市総合体育館ユードーム・サブアリーナで開催。以来、毎年9月の恒例となる。
- 10月11日、札幌プロレスフェスタとして初の北海道大会を開催(札幌テイセンホール)したが、観客動員数268人と参加5団体(FREEDOMS・大日本・DDT・アイスリボン・K-DOJO)の中で最下位を記録する。
- 11月23日、初の広島大会を開催(広島県立広島産業会館西館第四展示場)。
- 12月15日、新宿FACE初進出。
2011年
- 3月26日、初の福岡大会を開催(博多スターレーン)。
- 8月24日・25日、新木場1stRING大会「葛西純プロデュース・第3回デスマッチトーナメント~PAIN IN LIMIT 2011~」を開催。ジ・ウィンガーが優勝。
- 9月22日、佐々木貴デビュー15周年記念大会 ~殿の原動力はみなさまです~ を開催(新宿FACE)。
- 10月9日、第2回札幌プロレスフェスタに参加(観客258人)。
- 12月25日、第2回後楽園ホール大会「葛西純プロデュース興行 Blood X’mas 2011」を開催(観衆870人)。一方で葛西は来年8月のデスマッチトーナメント決勝戦は後楽園ホールを押さえて、自分も優勝できなかったら引退するくらいの気持ちで頑張ると宣言。
2012年
- 3月30日、新木場1stRING大会試合終了後、葛西純が突如FREEDOMS軍に反旗を翻し、「ヌルいFREEDOMSはオレっち達が変える!!」と宣言して竹田誠志、吹本賢児と新ユニット「UNCHAIN」を結成。
- 4月25日、新木場1stRING大会直前、葛西純が右膝を負傷のため、代わって新日本プロレスを契約解除されたばかりの本間朋晃が出場し、UNCHAINに加入。
- 5月2日、第3回後楽園ホール大会を開催。藤波辰爾、本間朋晃が参戦、しかし主力の葛西純の欠場、記録的な豪雨が降る悪条件も重なり、観客は594人であった。
- 5月20日、初の沖縄大会を開催(デルフィンアリーナ国際通り、満員)。
- 5月23日、元DEPの所属選手杉浦透が同日付で入団。
- 6月10日、横浜市西区で初のイベントプロレス「藤棚一番街プロレス・フェスタ」開催。
- 7月7日、初の米子大会を開催(米子しんまち天満屋5階てんまやホール)。
- 7月26日、新木場1stRING大会にて小鹿軍団が解散。
- 8月5日、札幌テイセンホールにて初の昼(通常興行)夜(「葛西純プロデュース・第4回デスマッチトーナメント~PAIN IN LIMIT 2012~」の1回戦)興行を敢行。葛西純は同大会をもって復帰したが昼興行後にGENTAROが体調不良を訴え入院。16日までに脳梗塞と診断された。夜興行は杉浦透は頚椎を損傷したマンモス佐々木の代わりに出場、HIROKIもGENTAROの代わりに急遽参戦し、二人ともにデスマッチデビューを果たした。
- 8月19日、大阪東成区民センター大会 ~PAIN IN LIMIT 2012~ の2回戦を開催。
- 8月27日、第4回後楽園ホール大会 ~PAIN IN LIMIT 2012~ の準決勝戦と優勝決定戦を開催(観衆1089人)。葛西純が優勝。
- 9月9日、みちのくプロレス全面協力の下、岩手県一関市総合体育館ユードーム大会を初めてメインアリーナで開催(観衆1382人)。藤波辰爾に加え長州力も参戦。アイスリボンからも試合提供。
- 9月17日、新木場1stRINGにてプロレス復帰を目指すGENTAROを支援する「GENTARO AID」を開催。
- 10月24日、新木場1stRING大会にて行方不明の藤田ミノルは葛西純からの要請で参戦し、UNCHAINに加入。
2013年
- 1月5日・6日、横浜赤レンガ倉庫にて5団体合同「横浜プロレスフェスタ」を開催。
- 1月7日、初の団体オリジナルタイトル「KING of FREEDOM WORLD選手権」創設を発表。
- 5月2日、後楽園ホール大会でKING of FREEDOM WORLD選手権初代王座決定戦開催。佐々木貴が高岩竜一を下し初代チャンピオンに輝き、試合後にはGENTAROがプレゼンターとして約9ヶ月ぶりにリングに姿を現す。同日付でSUSUMUが入団。
- 8月21日、新木場1stRINGで第5回となる「葛西純プロデュース・デスマッチトーナメント~PAIN LIMIT 2013~」の1回戦を開催。
- 8月24日、大阪城東区民ホールで ~PAIN LIMIT 2013~ の2回戦を開催。
- 8月29日、後楽園ホールで ~PAIN LIMIT 2013~ の準決勝戦と優勝決定戦を開催(観衆807人)。竹田誠志が優勝。同日付で吹本賢児が入団。
- 12月10日、事務所を葛飾区東四つ木に移転。
2014年
- 1月8日、KFCタッグ王座争奪リーグ戦開幕。同日付で正岡大介が入団。
- 1月13日、横浜にぎわい座にてジ・ウィンガー興行を開催。
- 2月2日、大阪道頓堀アリーナ大会開催。
- 2月9日、ネーブルカデナで予定されていた沖縄大会が関東地方の記録的大雪の影響で空港アクセスが閉ざされたため中止。葛西純のみ事前に沖縄入りしていたため払い戻し対応とお詫び挨拶、琉球ドラゴンプロレスリングの計らいでエキストラマッチも組ませてもらった。また昼の同団体興行にも飛び入り参戦。
- 3月13日、後楽園ホールにてKFCタッグ王座争奪リーグ決勝戦を開催し、ジ・ウィンガ―とグレート小鹿の『チーム省エネ』が優勝。長期療養中のGENTAROが復帰宣言。
- 5月2日、長期欠場中だったGENTAROが復帰。
- 5月6日、横浜ラジアントホールにてZERO1・WNC・アイスリボンとの4団体合同で「横浜GWプロレス祭り」を開催。
- 6月8日、琉球ドラゴンプロレスリングと合同で嘉手納町スポーツドームにて「かでなプロレス祭り」を開催(前出の中止になった沖縄大会の代替興行)。
- 8月10日、大阪城東区民ホールで ~PAIN LIMIT 2014~ の1回戦を開催。
- 8月25日、新宿FACEにてGENTAROが自主興行『~GENTARO・AIDに出てくれたみんな大集合!~』を開催。
- 9月4日、後楽園ホールで ~PAIN LIMIT 2014~ の準決勝戦と優勝決定戦を開催(観衆1114人)。ジ・ウィンガーが優勝。